『経験を共有』するサービス作りたい→人生の一歩先行く『mife』誕生
2007年。
アメブロやmixiなど、ブログやSNSが浸透しはじめたり(Facebookは2008年に日本上陸)、初代iPhoneが発売されたり、いま振り返ると歴史的な年でした。
SHIFTは、西大井のインキュベーションセンターで4月にソフトウェアテスト事業を始めたばかりでしたが、当時の主力であったコンサルタント事業と並行して独自のSNSサービス『mife』を立ち上げます。
■作ろうと思ったきっかけ
山梨
確か…自分たち発信のサービスやってみたいっていうのが始まりでしたよね。
丹下
あの時期のSHIFTって、コンサル業がメインでソフトウェアテストもはじめたばっかりでさ。
でも、クライアントの支援みたいなことだけじゃなくて、もっと自分たち発信の価値をWebで展開するようなサービスがやりたいよねぇってはなしてたんだよね。
山梨
当時よくカフェランチに連れて行ってもらってて、あまりにオシャレな店ばっかり連れて行ってくれるので『丹下さん、なんでこんなに良いお店たくさん知ってるんですか?』って聞いちゃったんですよね(笑)。
丹下
その時に言ったんだよね!「そういうみんなの知識とか経験とかを、いろんな人と分け合って一緒に『もっと人生を楽しめるサービス』を作りたいんだよ!」って。
山梨
それで、「よし!それじゃ俺、いまから『初めてのPerl』って本買ってくるからとりあえず作ってみてー」って。
丹下
あああーw。そうだったwww。
山梨
キョトンとしてる僕に「大丈夫大丈夫!世の中で既にできあがってることをやればいいんだから。数学の論文よりずっと簡単でしょw」って。
丹下
はっはっはっ!でもその通りじゃない?別に世の中にない技術を作りたいわけじゃないんだし、『もっと人生を楽しめる』っていう目的が達成できれば既存のもので充分なんだから。
山梨
Assemblyですね(笑)。
■『楽しくライフログを取りながら共有・展開していく』
本一冊と、謎のグーグル力(笑)をフル活用し勉強しながら、様々なサービスからソースを集めてはスクラップアンドビルドの日々の中、『位置情報』に着目し出来上がったプロトタイプは相当に前衛的なものでした。
山梨
当時ってGPS情報は公開情報じゃないから、map上に自分の位置が出てくるという経験そのものが非常に新鮮で社内でもテンション上がりましたよね!
丹下
ガラケー全盛だったしGoogle Mapも今と全然違ってナビってより地図みるって感覚の中、「出たー!!!」ってなったよね!山梨のライブコーディングっていうものが初登場したのもmifeかぁw。
山梨
当時は僕がみんなの注文をその場でコーディングしてましたね。最大で15時間とか…
丹下
みんなはPCの前でF5(更新)押しながら待ってるっていうw早押しボタンじゃないんだからw。
山梨
すごいAgilityですね(笑)。
昼はコンサルタントの業務をこなしながら、夜間や休日に企画・開発を行い、サービスのアイデンティティーを固めていく中、サービス名を決めるためのブレストで、博識で知られる前職の仲間(別名・教授)からの助言で、人生『Life』の一歩先に行くためのサービス、アルファベットの『L』の一歩先、『M』=『mife』という、名を授かります!
丹下
最初は『あなたの生活を変える=スイッチする』からスイッチライフにしたかった。
山梨
商標とかの問題もあって断念しました…
位置情報とともに思い出や経験を埋め込むという経験を、『タッチ』する、と表現したり、他の人の経験も共有することができるのなら、人生をちょこっと覗きたい人って例えば誰だろう…アイドルやセレブリティの日常を見れたら…と発展した結果、『位置情報のわかるアイドル(?!)』を起用したり、『どうすればもっと人生を楽しめるか』というコンセプトのもと、様々な機能を追加していきました。
丹下
ツイートみたいなこととか、仮想通貨、色々盛り込んでたよね!アウフヘーベンとか言ってねw。
山梨
個人的な側面から投稿したいか、社会的な側面から投稿したいか、自分の体験を発表するのって意外と立ち位置で変わるっていう。今では裏アカとか当然だけど当時からそれを押し出しているサービスってなかったかもしれないですね。
丹下
ターッチって言われるとなんか缶蹴りとかゲームっぽくていいじゃんw。より一層経験感が出るというか。
山梨
感情や体感ベースのモノ作りをしてましたね。当時はタッチスクリーンの端末なんで全然なかったですけど。
ローンチパーティーは浅草花やしきを貸し切り!100名以上のお客様に『花やしきでパーティー』という『経験を共有』してもらう絶好のロケーションを用意しました!
■いま振り返ってみて?
自分たちのやりたいことが明確、かつ技術的にも尖ったものだったため非常に先鋭的なプロダクトになりつつあったのですが、いざサービスとして落とし込みをしていく段階で、機種依存が激しい技術であることが判明しました。
丹下
当時の携帯サービスは機種依存とか会社依存とか、そういうの多かったよねぇ。
山梨
この技術は通信会社1社でしか使えない技術だったんですよね。
しかし、なるべく使ってもらえるユーザーを増やしたいのは当然なので、依存の多い機能をあきらめざるを得ない状況になってしまいました。
山梨
最初に感じた初期衝動とはちょっと違う、なんか『丸いもの』ものになってしまったというのは否めなかったですね。
丹下
やっぱりあの時思ったのは『このサービスのためだったら機種変更する!』くらいのエッジな立ち位置でも良かったんじゃないかって。
山梨
当時『経験の共有』っていうものにそこまで着目している風潮ではなかったですからね。文化として受け入れられるかどうかの不安はなかったわけではないので…
丹下
でもやっぱり今考えると10歩は先行ってたねw。当時の自分たちに今のインスタ人気を見せてあげたい。
山梨
他にも『より良い人生サービス』のベータ版ありましたよね、個人と個人のレンタルサービスとか。
丹下
ああっ、スノボやりたいけど道具ない人と道具あるけどスノボ行けない人を繋げてくれるっていうね。
山梨
当時は本当に『自分たちが素直に人生を楽しむためのモノ作り』っていうのが根底にありました!
丹下
この頃からもうDAAEの起源があったんだ!!
昨今では位置情報を使ったゲーム(ポケモンGO)や、写真がメインのサービスなどもたくさんありますが、それはコンテンツやガジェットが洗練され淘汰され、ユーザー側もそれに合わせて理解し進化していった上での現状があることを鑑みるとmifeもそういった進化の一端を担ったサービスだったのかもしれないですね。
自分たちが素直に人生を楽しむためのモノ作り、現在もSHIFTに脈々と流れる哲学の源流を垣間見ることができたお話でした。
2019/10/31 記