>ドリマガ TOPへ

起業家の熱い夢を応援するウェブマガジン「ドリマガ」

ネットイヤーグループ株式会社

インターネット草創期に誕生し、数々の大企業をインターネットの側面から支えてきた同社。インターネットがまさに水道のように使えるようになった今、石黒社長はどのような夢を描いているのだろうか。
 

日本経済を助けるのはマーケティング

丹下:早速ですが御社の夢を聞かせて頂けますでしょうか?

石黒:弊社は外から見ると、どのような印象ですか?

丹下:そうですねー、まずは最初に知ったきっかけが、ISIDの社員の方から、「ネットイヤーグループという会社があるよ」というものでした。それからWebを拝見させて頂いた時に、マーケティング支援をされる会社なのかと。更に事業実績を見ると、名だたる企業のWebを作られているという事で、Web制作会社さんなのかという印象を持ちました。

石黒:私たちは、企業のブランディングを含めて、マーケティングのお手伝いをする会社です。その結果として、Webを制作するという事を行っています。従来、日本のメーカーは高度経済成長で、右肩上がりに成長して、作れば売れるという時代でした。完全にプロダクトアウトというビジネスです。私は、もともとシリコンバレーにいた事もあって、そういったプロダクトアウト的なビジネスに違和感がありました。

丹下: 日本は技術で大きくなってきたという背景がありますから。

石黒:アメリカでは、マーケティングが非常に発達しており、そもそも顧客ニーズを分析して、何が必要とされているのかを明確にしながら、プロダクトするという文化です。日本は、マス広告に代表されるように、技術者が欲しいものを作って、いざ世の中に売ろうと思った時、宣伝するのはTVだけ。しかも、4つの民放チャンネルで、集中するのはゴールデンタイムの広告枠です。だから広告費が非常に高くなる。膨大なお金を使って、大量の同じ商品を売っていくような流れがありますよね。

丹下:そうですね。

石黒:でも、消費者のニーズは多様化し、大量生産じゃ対応できなくなってきたんですね。そう言った中で、ネットが出てきて、もうメディアというのはTVだけじゃないと。そういう事が言える時代が来ています。
「大手の企業も、TVに頼まなくても、自社でメディアを持つことが出来るんです。これからは、30秒のコマーシャル枠に囚われず、自由に、好きな時間だけ、自分のメディアで情報を発信することが出来ます」と、当時(1997年)に言っていました。でも、誰もまだピンと来ていませんでした。
★ Dreamerのプロフィール
出身地 ***
生年月日 ***
学歴 名古屋大学経済学部卒
Stanford University経営学修士 (MBA)
略歴 ブラザー工業、外資系企業を経て、スタンフォード大学にてMBA取得。
シリコンバレーにてハイテク系コンサルティング会社を設立、日米間の技術移転等に従事。
2000年よりネットイヤーグループ代表取締役として、大企業を中心に、事業の本質的な課題を解決
するためウェブを中核に据えたマーケティングを支援し独自のブランドを確立。
趣味 ***
その他 「石黒不二代のCIOは眠れない」など著書や寄稿多数。
経済産業省 IT経営戦略会議委員に就任。

☆ 会社概要
企業理念 楽しくなりたいときに、最初に思い出してもらえる会社になりたい。
社名 ネットイヤーグループ株式会社
代表者 石黒 不二代
設立 1999年7月7日
住所 〒150-8512 東京都渋谷区桜丘町26-1 セルリアンタワー5F
TEL 03-5728-0600
FAX 03-5728-0601
URL http://www.netyear.net/
丹下:当時からそう言われていたのは、先見性ですね。

石黒:私たちは、すべてのマーケティング活動の中核にウェブを位置づけながら、中長期的にブランド価値を高め、マーケティングの投資対効果を上げていく「Webセントリックマーケティング」を提唱しています。ここでいうWebとはPC・携帯電話のみならず、ゲーム端末や地上デジタルテレビなど、すべてのインターネット接続可能端末を指しており、これらのWebを中核に位置づけることで、マーケティング活動を定量的に計測することを容易にするだけではなく、クチコミを誘発するなど顧客との関係性を重視したマーケティングの展開が可能になります。
弊社は、顧客購買プロセスに基づき「ブランド認知」から「顧客関係維持」まで一貫したサービス提供をしています。

丹下:凄いですね。ワンストップですね。

石黒:ですので、Web制作会社というよりも、クライアントのビジネスゴールを達成するための総合的なマーケティングパートナーという位置づけを目指しています。

丹下:創業当初から、そういった戦略だったんですか?

石黒:日本には、世界に誇れる優れた技術が、たくさんあると思います。でも、それをしっかりとビジネスに結び付けられていないのが現状です。ヤフーやグーグルのような検索エンジンも、ヤフーが出る10年も前に、日本には既にありました。それは、新聞の全文検索に使われていました。


石黒:ただ、それを自社の業務に使うだけでした。ネットの世界のように全てを繋げて、商業用に利用していくという概念がありませんでした。だから、アメリカに負けてしまう。これが悔しいと思っていました。優れた技術があるのに、そう言った事を沢山見てきましたから、凄く歯がゆかったですね。

丹下:悲しいですね。せっかくの技術も埋もれてしまうのは。

石黒:そうですね。私は、今後の日本経済の活性化には、市場に合った売れる仕組みづくり、マーケティングへのいち早い取り組みが重要だと考えています。
大企業の埋もれる資産を活用

丹下:事業としての収益は何になるんですか?

石黒:当初は、サイト制作でお金を頂いていていました。戦略性やクリエイティブ力の高い提案でサイトリニューアルも引き受けます。しかし、サイトリニューアル等は単発です。ネットはTVコマーシャルと違って、情報が蓄積されます。これをスパイラルメソッドと呼んでいます。完璧に仕組みを構築しなくとも良いと考えています。1ヶ月で80%立ち上げて、残りの5ヶ月で90%まで持ち上げる。サイトのコンテンツを充実させる為に、プロモーションサイトをイベントごとに立ち上げたりします。結果として、クライアントには、継続的なサービスを提供しています。

丹下:クライアントは大企業ばかりですが、そうそうたる実績ですね。

石黒:弊社は、大企業をメインターゲットにすると決めていました。それは、一般的に、大企業は事業活動を通して大量のデータやコンテンツなどを蓄積していますが、データがビジネスの競争力を生むインターネット時代において、それらの資産が活用されていないケースが見受けられます。私たちは、これらの眠った資産を有効活用することで、ベンチャー企業では生み出せない新たな付加価値を持った事業モデルが作れると考えたからです。例えば、私たちのプロデュース事例になりますが、NHKエデュケーショナルさんと共同で、テレビ番組連動の「みんなのきょうの料理」というWeb2.0型レシピサイト事業を行っています。本サイトは、企業等からの広告収入および関連図書やDVD販売の紹介手数料(アフィリエイト収入)によって運営をしています。参考:(http://www.kyounoryouri.jp/)


幼稚園の頃から自ら判断

丹下:色々と会社の事について、お話を伺いましたが、石黒社長ご自身の経歴を教えて下さい。

石黒:会社を経営する父と専業主婦の母の間で育ちました。特徴的だったのは、幼稚園の頃からあらゆる決断を完全に任されていたということですね。親に聞いても答えは返ってこない。それなら自分で決めるしかないと、考えるようになりました。それが今に続いています。

丹下:なるほど。社長としての英才教育ですね、笑。

石黒:そうだったのでしょうか。私は大学卒業時に、当時四大卒の女性には全く仕事がないという経験をしました。


石黒:結局、当時ブラザー工業のプリンターの海外営業という仕事に就きました。完全にプロダクトマーケティングです。海外との受発注は、FAXでやり取りをしていました。

丹下:どのくらい働かれたんですか?

石黒:6年間です。その後、ブラザー工業で、自分がやれる事はやったという思いで、スワロフスキーに転職しました。初めての外資系企業です。

丹下:今や日本でも知名度の高い会社ですよね。当時日本に法人が出来たばかりだったのですか?

石黒:いいえ、既に日本にも支社はありました。社員が50人くらいです。工業製品のパーツを扱っていました。
石黒:消費者製品の事業立ち上げで、私が採用されたんです。本当に大変でした。今まで工業製品だったものを宝飾品として売らないといけないんです。主なクライアントは、デパートになります。仕事はクライアントの開拓です。デパートは本当に大変でした、笑。

丹下:そこからスタンフォードに留学されていますが、華麗なキャリアですね。

石黒:もともと、ハイテク志望だったんですね。それと外資系企業に就職した時に子どもが産まれたのですが、当時は、外資系のマネージャー職と子育ての両立が、物理的に不可能でした。「それならば環境を変えよう、アメリカなら社会的インフラが整っているはずだ」と考えました。それと同時に、MBAでのキャリアアップの必要性も感じていましたので、これは行くしかないと・・・。キャリアアップのため、スタンフォード大学ビジネススクールに1992年から行きました。そして、94年に卒業しました。当時子供もいたので、本当に子育てと学問の両立が大変でした。卒業してからは、日本での就職難を経験していたので、アメリカで就職する際には、大企業に入るか、会社を経営するかだと思っていました。

丹下:なるほど。女性が子育てをしながら働くというのは、本当に大変ですからね。

石黒:そう考えた時、起業することのほうが、リスクが小さいと判断しました。技術やファイナンスの知識を生かすことができれば、自分のコントロールの範囲が大きくなることのほうが大切だと思いました。それで94年に私を含めた2人のスタッフで会社を立ち上げました。
石黒:シリコンバレーのカルチャーは、学んだことをビジネスとして実践する場であり、非常にいい経験ができたと思っていますね。

丹下:日本にしか住んでいない私からすると、アメリカで仕事をする。ましてや起業するという事は本当にチャレンジングだと思いますけど、笑。凄いですね。

石黒:そして、99年に設立されたネットイヤーグループの創業者に出会い、今の仕事をしています。


シリコンバレーような経済圏を創る

丹下:ありがとうございます。今まで会社としての夢をお聞きしたのですが、個人としての夢をお聞かせ下さい。

石黒:私が気にしているのは、日本は元気が無いという事です。シリコンバレーのカルチャーを見てきて思うのが、こういった文化を日本に根付かせたいという事です。あるベンチャーキャピタル(VC)の方が言ったのですが、ある技術が出来上がって、マーケティング段階になった時点で、投資をするよりも、テクニカルリスクというのですが、技術が出来上がる前に投資した方が、投資効率が10倍以上違うという事です。
石黒:技術開発に、数億円掛かるとすると、マーケティングにはその10倍以上かかります。その段階で、競合のVCがいる中で投資して、失敗すると10倍の損をするという事です。なので、日本のVCがテクニカルリスクをとれるかどうかという事です。

丹下:なるほど。技術の目利きが出来るなら、開発段階で投資した方がよっぽどリスクが少ないという事ですね。僕も眼からウロコのお話です。だから、シリコンバレーには、何も出来ていなくても、素晴らしい提案書があれば100億円という資金でも投資してもらえるんですね。

石黒:日本も、シリコンバレーのように良い循環を生んでいるような新しい経済圏を作って行きたいというのが私の個人的な夢です。

丹下:私もそう言った経済圏の一員になれるよう、がんばりたいと思います。今日は、お忙しいところ取材ありがとうございました。

石黒:こちらこそ、ありがとうございました。






 ネットイヤーグループといえば、日本のインターネット業界の草分け的な会社です。このような会社が、自社がどのように見られているのか、気にされているというのには、びっくりしました。私からすれば、巨人というイメージですが、謙虚な姿勢で、本当に勉強になりました。石黒社長も、取材中私を楽しませてくれるような話し方をして頂き、女性らしい心づかいの経営者なんだと感じました。だからこそ、社員の皆さんも素晴らしい笑顔で、お仕事されているんだと感じました。同じ業界にいる私としても、業界をリードして欲しい企業です。