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天文学者

水・金・地・火・木・ 土・天・海・冥、僕が小学生の頃、理科の授業で覚えた太陽系の惑星群だった。2006年8月24日、この中から、冥王星が除外された。記憶に新しい出来事で、知っている方も多いが、プラハで行われていた第26回国際天文学連合総会で決まった。この国際天文学連合の「惑星の定義委員会」7人の1人が、渡部潤一さんだった。日本の天文学者の中では最も有名な1人といえる。
 

「教科書に載っていない人間が知らないことがあるんだ」、誰も知らないというロマン


丹下:天文学者を目指したきっかけから教えていただけますか?

渡部:私は1960年生まれなんですけど、60年というともちろんゲームとかパソコンとかなかった時代で、理科少年が走る道って星に走るか、虫に走るか、アマチュア無線に走るかの3つくらいしかなくてね。学研の科学のおもちゃを一生懸命組み立てていた世代なんだけども、その中で星に走ったわけなんです。望遠鏡を買って一般的に好きっていうレベルだったんだけども、72年の小学校6年生の時に、「ジャコビニ流星群」というのがありましてね。楽しみがない時代でしたから、日本中が大騒ぎしましたね。ところが、あの時は流れ星がたったの1個も降らなかったんです。偉い先生も、テレビでも今夜は出るって言ってたのに、何で出ないんだろうと、その時に色々なものの芽が開いたんですね。「教科書に載っていない人間が知らないことがあるんだ」と思いました。今は科学が発達して、生活が豊かになって、インターネットを開けば答えらしきものは載ってますし、色々なことを開発したり研究する領域がもうないんだと思ってる子供さんが多いんだけれど、「既存の答えが答えじゃないんだ」ということに気づいて欲しいんです。教科書って何で面白くないかといったら、分かっていることしか書いてないからなんですよ。「ここから先は分かってません」って書いてくれれば、夢とかロマンが持てるんです。そういう書き方すると検定は通らないでしょうけど。で、小学校の時の僕は「これは面白いな」と思ったんです。何かができるかもしれないと思って、天文学者になろうと思いました。なるためにはどうしたらいいんだろうということも調べ始めました。

丹下:その時に決められたんですね?

渡部:そうですね。卒業文集に「天文学者になる」とか書いていたりですね。ですが、その当時、天文学者になる道は帝国大学系しかなかったのですが、中学校に入ってそれを知り、これはなかなか厳しいということに気づいたんです。目標があったので勉強することは苦にならなかったです。幸いなことに東大に入ることができて、その中でも競争の激しかった大学院に行けて、今天文学をできる身にあります。そういうモチベーションがあったので、今でも分からないことは多いんですが、少しでも突き詰めて後輩にバトンタッチしたいなというのはありますね。
★ Dreamerのプロフィール
出身地 福島県会津若松市
生年月日 1960年12月28日
学歴 1983年東京大学理学部天文学科卒業
略歴 東京大学大学院理学系研究科天文学専門課程修士、博士を経て東京大学東京天文台入台。その後、国立天文台光学赤外線天文学研究系を経て、現在、同天文情報センター長。准教授
趣味 ドライブ旅行、温泉巡り
その他 著書
『図説新・天体カタログ 銀河系内編』『ヘール・ボップ彗星がやってくる』『しし座流星雨がやってくる』他多数

☆ 会社概要
企業理念
社名 天文学者 渡部 潤一
代表者 渡部 潤一
設立
住所
TEL
FAX
URL http://centaurs.mtk.nao.ac.jp/~watanabe/
天文学者というレールが敷かれていない世界

丹下:小学生の頃、何か分からないことに興味があるとおっしゃったじゃないですか。ずっと天文学を追いかけたというのは最初に決めたからですか?考古学なんかも知らないことを追いかけるじゃないですか?

渡部:僕は人のやることに興味がなかったといいますか、天文学をやってればあまり人と付き合わなくてもいいかなと、いい意味でも悪い意味でもこもってできるという憧れがありました。考古学だとやっぱり外に飛び出していかないとダメですからね。それは全くの思い違いであるということは入ってから分かりましたけどね。

丹下:その間に辛い経験とかあるんですか?大学院って、すごく長い間研究期間があるじゃないですか?

渡部:丹下さんも大学院行かれていたから、お分かると思うんですけど、結果が出る出ないというのは本人にとって重要じゃないですか?

丹下:大学までは人がそろえた答えを探す作業で、ある程度の学がある人は得意なんですよね。大学院行ったときに熱伝導方程式を疑えって言われた時は、これは参ったなぁと思いましたよ。さすがにカルチャーショックでした、笑。

渡部:常識を疑ってかかるというのは、研究においては大事なことだと思うんですよね。


渡部:じゃあ、何をどっから疑ってかかるのかというのは、天文学の場合は基礎科学の中でもかなり範疇が広いので、わりとレールが敷かれていない分、自由にやれてました。

丹下:そのまま修士から博士課程にいかれて研究されたんですか?

渡部:そうですね。博士の時に青田刈りされたので、博士3年の4月末で、5月1日付けでここに採用になったんですよ。

丹下:採用されたのはやはり優秀だったからですか?

渡部:いや、その頃から本当に優秀な人が民間に行くようになってきたんです。要するに先を見切っちゃって、色々な意味で頭のいい人は修士で辞めて民間にって人が多いですね、今は。
基礎研究を支援するという国としての文化

丹下:大学院からこの国立天文台に来られたと。ここは完全に国家機関なんですか?

渡部:そうですね。今は独立法人なんですけど。名前は変わりましたが、ほとんど国家機関ですね。予算の97%は国から出てますし。

丹下:僕もなんかの記事で読んだだけなんですけど、あの望遠鏡を作るのには国債を発行したとか。

渡部:そうですね。ちょっと大きな金額でしたから。

丹下:そうしますと、変な話なのですが、アレを使って何か収益を出さないとダメなんですか?

渡部:いえ。必ずしもそうではないですね。同じ国債発行でも基礎科学の場合はリターンを求めてないんですよ。儲からないですよ、天文学って。

丹下:難しいですよね。

渡部:天文学に対する1番厳しい批判ていうのは、「それが人類の幸福にどう役立つんですか?」って言われる事なんです。これが医学とか生物学だったら、答えは簡単なんですよ。「病気を治すんですよ」って答えればいい訳ですから。天文学は知的好奇心にだけ立脚した学問ですから。
丹下:基礎科学ってそうですよね。

渡部:もちろん我々の学問が、民間に転用されて役に立っているということがないことはないんですが、それを針小棒大に言ってしまうと、足元が揺らぎかねないんですよね。学問ってそういうことじゃないと思ってるんで。天文学は役に立たない学問の代表選手みたいなところがありますから。

丹下:でもすぐに役に立たないことって、結構重要だったりしませんか?

渡部:そうですね。いつも僕は言っているのですが、生活している上で、皆さんは本当に役に立つものだけで生活しているかといえば、そんなことはないんですね。例えば音楽が好きな人は、音楽を聴きますし、絵が好きな方は美術館に行きますし、演劇が好きな方は芝居を見に行きますしね。そういう人間の知的生活は文化であると。それで、星のことを知りたいとか宇宙がどうなっているか知りたいという人間の好奇心に応えるという責務を担っているというのが天文学です。ハワイにある「すばる望遠鏡」は400億円近くかかっているんですけど、財務省の許可がなかなかおりなくてですね。アメリカに任せてけばいいじゃないかと誰かが言ったそうなんです。まあ、確かにね、アメリカに任せておけば勝手に同じものを作るでしょうけど。その時のウチの台長がクラッシックのファンだったんですけど、「じゃあアメリカにボストンフィルとかニューヨークフィルがあるから、日本にオーケストラがいらないか?」って話になって、日本でもオーケストラを楽しみたい人がお金を出し合ってね。
渡部:「音色も専門家になれば違うだろう、星の見方も解釈もおそらく違うはずだ」と。それぞれの文化がそれぞれに持ってなきゃいけないだろうという理論で望遠鏡持つことをせまったということがあるんです。


「すばる望遠鏡」で見ている宇宙というのは、人類が見ている最も遠い宇宙なんです

丹下:現在所属されている国立天文台の組織としての夢というのをお聞かせ願えますか?

渡部:世界の天文学をリードしていきたいというのが組織として目指すところですね。「すばる望遠鏡」という8メーターの望遠鏡がハワイのマウナケア山頂にあるんですが、いろいろな成果をあげつつあります。

丹下:けっこう難しいみたいですね。8メーターの望遠鏡を作るとなると。

渡部:そうですね。技術的には難関でした。様々なプロジェクトを通じて、国立天文台は観測装置のレベルがようやく欧米に追いついてきました。
実は、今「すばる望遠鏡」で見ている宇宙というのは、人類が見ている最も遠い宇宙なんです。128億8千万光年のワールドレコードを持っていて、これは距離が分かっている天体の中では1位から7位を独占しているんですよ。完全にアメリカを抜き去りまして、ハッブル宇宙望遠鏡が同じとこで勝負するのをやめちゃったくらいなんですね。こういうところで、日本がリードするんだというのを少しでも広げていきたいですね。


丹下:やっぱり望遠鏡が大きいほど遠くまで見えるということなんでしょうか?

渡部:単純に言うとそうなんです。遠くに行けば行くほど暗くなりますので、暗いと光を集めるために鏡を大きくしないといけない。8メートルがそろそろ限界に近づいてきたので、30メートルの望遠鏡を作ろうという計画があります。30メートルになると一国ではできないので、国際協力でそれこそ宇宙ステーションのようにアメリカやヨーロッパとタッグを組んで、やっていこうと検討しているところなんです。

丹下:日本じゃなくてハワイがいいんですか?

渡部:そうですね。日本は星がキラキラするんです。それはそれで綺麗なんですけど、拡大すると星の像がダンスしているようなもので、写真を撮ると広がっちゃうんですね。
渡部:そうすると、暗いところの星が見えなくなっちゃう。ハワイのマウナケアだと空気が薄いっていうのもあるんですが、風が一定方向にしか吹いていないので、星のまたたきが非常に少ないんです。そのためハワイでは、同じ大きさの望遠鏡を置いても微かなものまで撮れるといういい点があります。

丹下:先ほどの30メートルの望遠鏡なんですけど、国家間をまたぐじゃないですか?そうすると、同じものを見て、同じデータを解析していくということになると思うんですけど、天体望遠鏡じゃないところの技術が国の差別化になっていくんでしょうか?

渡部:それぞれ得意なことがありましてね。カメラは日本が得意だとか、解析ソフトウェアはアメリカだとかヨーロッパのを使いますし、そういうところを分担するっていう感じですかね。

丹下:国とは関係なく、世界の興味あることを一緒にやっていこうと。

渡部:そうですね。今、国際協力でやっているのが電波望遠鏡です。アタカマサブミリ波望遠鏡、ALMAと呼ばれているんですけど、これはアメリカ、日本、ヨーロッパがお金を出し合って、日本はやっぱり受信機が得意なので一手に引き受けています。で、ALMAの時に思ったというか、彼らが言っていたのは、日本はスケジュールをよく守ると、ヨーロッパアメリカはどんどん遅れると、特にヨーロッパはイタリアがありますからね、イタリアはひどいと。その辺は不思議だし面白いと思いますね。

丹下:なんか美しいかどうかが基準なんですよね、イタリアって。笑。
天文学者から広報という仕事へ

丹下:渡部さんは国立天文台でどのような仕事をされているんですか?

渡部:天文情報センターというセクションに所属していまして、企業でいう広報的な仕事をしています。「すばる」を作るとき、広報の重要性を感じました。誰も知らないプロジェクトに誰が400億も出してくれるんだと。首脳部は国会議員さんを回ったり、霞ヶ関を回ったりしますけど、本当に出してくれるのは一般の人です。そういう人たちに、今天文学では何をやっていて何が面白いのか伝えたいと思い、広報室というのを94年に立ち上げました。それまでは、天文台というのは一般の方お断りの非常に堅いところだったんですよ。

丹下:確かに堅いイメージはありますね。

渡部:93年の秋だったかな、家内がキャンパスを歩いていたら、どこかの高校生が守衛さんに追い返されているのを見たというんですね。多分その高校生は天文学が好きで、修学旅行か何かで、東京まで来たから天文台に行こうと思って来たと思うんですよね。それを追い返すのが果たして正しい態度かどうかというと僕は正しくないと思うんですよね。3年位前から台長にお前広報室やらないかと言われていたんですけど、僕は天文学をやりたかったので、ずっと断っていたんですよね。天文学と広報ってある意味対極で、天文学者としてのキャリアを捨てるようなものですから、お断りしていたんですが、その時に決心しました。


渡部:やるならとことんやってやろうと思い、望遠鏡を作って、月2回観望会というのを一般のお客さんを交えてやりまして、キャンパスも今はいつ来ても自由に入れるようになりました。やっぱり自分がわくわくしたこととかを伝えたいという想いが強くてですね。研究所は税金でやっている以上、納税者に少しでも成果を見てもらうなり立ち入る権利があるんじゃないかと。これは僕がアメリカに行って思ったんですが、研究所にはビジターセンターが絶対にあるんですよ。それは義務だと彼らは思ってるんです。僕はアメリカはそんなに好きじゃないけれど、そこだけは偉いと思っていて、ウチもやらなければいけないなあと思っています。だいぶ実現できたのではないかと思いますけどね。
多くの人が星に興味を抱いてくれる世の中にする

丹下:それでは、渡部さんの個人的な夢を教えていただけますか?

渡部:やはり国立天文台の広報担当として、多くの人が星に興味を抱いてくれる世の中にしていきたいですね。僕が子供のころ1番感動したのは中学生の頃に箒星(ほうきぼし=彗星)をみた時ですね。流れ星の親玉が箒星なんですよね。普通の望遠鏡だったんですけど、それで見た箒星というのは感動しましたね。

丹下:綺麗でしたか?

渡部:綺麗でした。宇宙っていつ見ても変わらないというイメージですが、実は一期一会で、その日の星空ってその日限りなんですよね。望遠鏡で見る惑星の姿もその日にしかないので中学校の時には観察日記も作っていました。
当時は木星の大赤斑と呼ばれる目玉が非常に明るくて、小さな望遠鏡でもよく見えたんですけど、今はよく見えないんです。不思議なんですけど30年前と比べると薄くなっているんですよね。

丹下:地球の環境が変わったということでしょうか?
渡部:木星も変わっているでしょうしね。

丹下:そう言われますと「見ておかないと」という気がしますね。

渡部:天文台に来てくれる方だけじゃなくて、天文に興味のない人にもこういったことを知ってもらいたいですね。渋谷駅前かなんかにバッと望遠鏡を広げて、通りがかりの人に「覗いていってください」って月のクレーターを見せてやりたいなと、感動はそういう人の方が大きいですよね。「こんなに大きく見えるんだ」とかね。「もっと大きな望遠鏡じゃないと見えないと思ってた」とか。土星の環とかも小さな望遠鏡で見れますからね。そういう感動を皆に持ってもらいたいなあ、特に子供さんにね。

丹下:そういう機会が少ない気がしますもんね。

渡部:工学部の方だと分かると思うんですが、机上の勉強ばかりで、実際に手を動かして何かを作るということが段々減っていると思うんです。日本はこれから科学技術立国で食べていくって言ってるじゃないですか、それなのにいいのかなというのがあります。学研の科学でさえ締め出されてね、インターネットでしか買えなくて、もう少し子供たちがあちこちで買える環境になってほしいですね。もっと国がお金をかけてもいいと思うんですけどね。

丹下:少子高齢化対策にお金をかけることもさることながら、少ないと言われている子供たちにもっとやってあげられることってありますよね。
丹下:僕は車が好きだったので、「車が好き=エンジンを設計したい」という理由で機械系に進学しました。すごい単純なんですよね。星もそういう機会さえあれば、身近になっていきますものね。

渡部:そういう触れ合うチャンスを増やしていきたいなというのはありますね。


技術の発達による科学の発展(小話)

丹下:天文学の世界では、飛躍的に技術が発達したとかってあるんですか?

渡部:天文学は技術の発達で見えてくる世界があるというのが如実で、我々の太陽系も肉眼で見ているうちは土星が1番外側の惑星だったんですね。水星、金星、天動説だと地球は入らないので、火星、木星、土星、月と太陽の7つだったんですよね。7つしか見えなかったから、曜日も7つしかなかったんです。天体望遠鏡というものが発明されて、これによって天王星が発見されました。その後、天王星のふらつきを精度よく調べると、理論的な予測よりもふらついていると、もっと外側に惑星があるに違いないということになって、望遠鏡の性能も良くなった100年後、150年後海王星が見つかるんです。2つ見つかると3つめを見つけようとする人が必ず出てくるんですけど、そこにはもう1つ技術革新が必要でした。


渡部:銀塩(ぎんえん)写真を使った手法が天文学にも導入されて、それまで天文学者は目で一生懸命探していたんですけど、それによって光を蓄積させることができるようになってもっと暗いものを写真に残せるようになったんです。それで、冥王星が見つかったんです。1930年に冥王星が見つかった後、しばらくは写真で探していた人もいたんですが、もう1つ技術革新が必要で、今はデジタルカメラ全盛期ですけど、CCD素子っていうのが80年代から天文学に応用され始めて、あれが冷やしたり色々工夫すると銀塩写真の100倍感度がいいんです。それでさらに深いところが見えるようになって、冥王星にはたくさんの仲間がいて、冥王星は惑星じゃなくなってしまったわけなんです。技術革新によって1番恩恵を受けている学問かもしれませんね。

丹下:本当に技術革新とともにという感じですね。


星の名前(小話)

丹下:流れ星というのは毎日落ちているんですか?
渡部:落ちてます。流れ星は上空100キロとかで、1ミリとか1センチのものが光っているだけですから、いくらでも見つかります。

丹下:星を見つけるのは、やはり難しいのでしょうか?

渡部:かなり難しいですね。

丹下:小さな子とかが名づけられたら面白いなと思ったんですけどね。

渡部:あ。非常にセンスがいいですね。実はそれはやってましてですね。普通の星を名づけるのはIAU国際天文学連合で禁止されているんですけど、小惑星という火星と木星の間にある岩の塊なんですけど、それを発見した人には命名提案権というのがあるんですよ。日本のアマチュアの方はいくつか持っている人がいて、僕の知り合いで100個ほど持っている人がいるんです。その人にお願いして、毎年、宇宙の日(9月12日)に、子供さんから名前を集めて、それを宇宙の日のフェスティバル会場で拍手で決めるんですよ。その後のプロセスで半年くらいはかかるんですけど、それを2000年からやってましてね。

丹下:その小惑星で発見できていない星とかあるんですか?

渡部:ありますね。50センチから1メータークラスの望遠鏡を使うとまだ発見することは可能ですね。ただ、見つけるのも条件があるんですよ。ある晩に観測したら何日以内に同じものを観測しなければいけないという、それじゃないと軌道が決まらないので、その条件を満たすのが難しくてですね、一晩のうちに動いているものを見つけるのは簡単なんですけどね。

丹下:本日はありがとうございました。

渡部:こちらこそありがとうございました。






人からは文系だと思われがちだが、私は実は工学部を出た理系。同じ理系でも学問の世界に身を置く渡部先生と、ビジネスの世界に身を置く私とが話が合うのか心配したが、渡部さんは以外にもお話が上手だった。小学生の頃、雑誌の付録で星に興味を持ち、そのまま東大⇒天文学者、そしてあの有名な冥王星を準惑星と決めた委員会のメンバー。輝かしいまでの経歴を持たれた渡部んが、天文学者というキャリアを捨て、広報担当に。子供の頃、ご自身が星を好きになったように、色々な方に良さを知ってもらいたいという想い。こんなバランスの取れた学者の方を見たのは始めてだ。取材は、センター内の使われていない大きな天文台を案内して頂いたり、望遠鏡の技術話で盛り上がったり、冥王星を除外するかどうかの議決の際に使用したカードを見せて頂いたり、4時間にものぼる長時間だった。しかし正直、楽しかった。とても印象に残っているのは、惑星定義委員会は、世界に7人しか選出されないと。なぜ日本から渡部さんが選ばれたのかをお聞きしたところ、極端な考え方・主張を持っていないからだと答えて頂いた。そして、30mの望遠鏡もどこかの国と技術を競争するのではなく、人間として宇宙の謎を解明したいという想いから国を超えて協力し合っていると。渡部さんのような方が、この資本・権利が横行する世界を救えるのかも知れない。