>ドリマガ TOPへ

起業家の熱い夢を応援するウェブマガジン「ドリマガ」

株式会社アクシイズ

株式会社アクシイズ。設立4年目、インターネット業界の新しいマーケットであるLPO事業のシェアトップの企業である。LPOとはLanding Page Optimizationの略で、Webサイトに訪れた人の属性に応じて、表示する内容を変える技術の事である。代表の海野雄史氏に、事業の立ち上げから個人の夢まで伺った。彼はいったいどのような夢の実現を現在の事業に託しているのだろうか?
 


「知りたい」と「知らせたい」を科学する、LPO

丹下:まずは会社の概要から教えて下さい。

海野:ホームページに訪れてこられる方というのは、事前にそれぞれ属性が違うだろうというのを我々仮説として持っています。たとえば検索エンジンで何かを検索している人っていうのは、分かりやすく言うとやっぱり欲しいキーワードを入れています。せっかくそれを入れてくれているのに、同じものを見せているというのが今のホームページなんです。そこはやっぱり属性分けしましょうとか、後は地域属性もあると思っていて、アクセスされた方の地域を読み取って、それに合わせて出す内容を変えましょうという提案をしています。それがLPOというものです。さらに進めているのは、クッキーベースでもっと情報を持たせて、購買履歴ですとか、その方の閲覧履歴ですとか、そういうところからもっともっと紐解いていきたいですね。例えば宝石広場さん、渋谷にリアルでもお店を持っています。高級時計を売っているんですけど、すごいのが月商で1億円以上です。

丹下:ネットだけですか?

海野:ネットだけです。リアル入れると年商で数十億円らしいです。

丹下:月商で1億円いくのですね~

海野:単価が高いというのもありますけどね。

丹下:でも100万円の時計を100本以上売っているってことですよね?

海野:そうです。このページに来るケースっていうのは、ブランド名をヤフーやグーグルで検索しますと、例えば「ブルガリ」と検索かけますとSEOで3位くらいに来ています。アクセスを増やすためにビックキーワードのSEOにすごく力を入れてやっています。
(参考URL:http://www.u-s.co.jp/shop/category/category.aspx)
★ Dreamerのプロフィール
出身地 大阪府生まれ。
生年月日 1974年12月14日
学歴 青山学院大学卒
略歴 青山学院大学卒業後、シーエムアイ株式会社に入社し、 情報戦略と企画営業を担当。その後、株式会社ワークスアプリケーションズを経て、アクシイズを設立。以来LPO(ランディングページ最適化)のリーディングカンパニーとして事業を展開する。
趣味 読書、映画鑑賞、国内旅行
その他 「CONDUCTOR LCO」
http://lpo.axyz.co.jp/

☆ 会社概要
企業理念 消費者の「知りたい」と、企業の「知らせたい」を科学する。
社名 株式会社アクシイズ
代表者 海野 雄史
設立 2004年12月
住所 〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西2-7-2ウインズビル5階
TEL 03-6415-6123
FAX 03-6415-6124
URL http://www.axyz.co.jp
海野:ところがアクセスした画像の中にブルガリの商品がないんです。今のユーザーさんは、自分の欲しい情報があるかないか判断するのに3秒~5秒と言われていて、そこで訴求しきれないと、ブラウザの戻るボタンで戻ってしまうのです。それをなくすために、アクセスしてもらうとブルガリの商品がでてくるようにする。実はURLは全く一緒です。中身の画像を差し替えたり、他に例えば、「フランクミューラー」とか検索すると、SEOで2位になります。当然画像もフランクミューラーになります。フランクミューラーのキーワードでは、「文字まで付いているパターン」と「何もないパターン」と「何のボタンもないパターン」の3種類くらいABテストというのをやっています。実は次のクリックを押してもらう確率ですとか、最終的にものを買ってくれた獲得数まで追いかけていくんですね。つまり同じキーワードで来た客に対し、どういう風に見せたほうが購買力が上がるのかというのを検証しています。そうするとですね、「何もないパターン」は数%なんですけど、「文字まで付けるパターン」だと10%まで上がります。同じ検索できているのに、見せ方を変えるだけでこれだけ変わるんです。以前はデザイナーさんが好きにやっていたり、勘でやっていたりしたんです。それはブランディング目的だったらいいんですが、物を売るって見た場合には多少デザインが崩れても文字まで付けたほうがいいんです。で、実際にやってみて結果として出るので、喜んでいただいています。

丹下:もともと事業を起こされたきっかけというものはなんだったんですか?

海野:実は、1件特許も取得しているんです。この会社作ったのが2004年なんですが、2001年の段階で父親が出願したものが2004年に取得できました。当時まだそんなに回線が太くないころにヤフーとかで検索してよさそうなページを選んで飛ぶわけですよ。



海野:そしたら、表示されるまでに2~3分待つわけですよ。 しょうがないんで表示を待って見ると全く興味のない情報だったりするんです。そのときのストレスというか、がっかりがすごい。で、逆に情報を提供する側を考えたときに、キーワード入れて2~3分待ってくれた人に、違う情報を出すのも本意じゃないんじゃないかなと思いました。そこに対してちゃんとマッチングしてあげることができれば、きっとそこには需要があるんじゃないか、当時はホームページを作るのも大変な時代で、特許の内容というのもイメージとしてはアニメのセル画のように、ページの上に透明のレイヤーをかぶせて上書きで情報を配信するという形をとっていました。それがベースとなりまして、自分の中で「知りたいっていう人」と「知らせたい」っていう企業をつないでいきたいと思いました。「知りたいと知らせたいを科学する」というキャッチコピーを使っています。

外部広告のGoogleに対する内部施策のアクシイズ

丹下:2001年は他に事業をされていたんですか?

海野:やってないですね。まだサラリーマンでした。

丹下:勤めながら、開発されてたのですか。

海野:実は私、エンジニアではないので、企画を作ってという感じですね。

丹下:企画を作って、パートナーの方に作っていただいてといった感じですか?

海野:実際に作ったのは会社を起こしてからなんですね。なので紙ベースです。

丹下:物なしで、紙ベースで詰めて3年ですか。

海野:物を作ったのは会社起こしてからです。そうこうしているうちに、環境も変わってきたんで、じゃあもっとできることはということで現在の弊社のサービスになりました。

丹下:競合とかいらっしゃるんですか?

海野:とりあえず日本初は我々がやらせていただきました。

海野:その後LPOと呼ばれる分野で10社くらい出てきました。ですが、皆さんやはり何となくそれっぽいことはできるんですが、きちんとこなすためにはそれなりの気合がいりますから、どんどん脱退されていきました。あと、日本でゼロから作っているケースが意外と少なくて、日本のWEB関連業界ってそうなんですけど、海外で成功したものを持ってきてローカライズするんです。そういう商品は日本の企業が使ったりする中では、なかなか全ての要望が吸い上げ切れないんです。基本機能は一緒ですが、その後のバージョンアップの時など優位性があると思っています。現在はサービスインしてからちょうど2年くらいなんですけど、鳴り物入りで入ってきた海外の会社とかも止まっていて、我々はどんどん成長していますっていう感じですね。

丹下:アメリカにもこういうサービスはあるんですか?

海野:特許の頃は全く無かったんですが、サービスを始めるときにどうやって売ろうかと思い、ふと見るとアメリカのほうでLPOっていう言葉が出ていました。それが2005年くらいでした。

丹下:他にも御社のサービスを使用されている企業を教えて頂けますか?

海野:例えば、大手中古車販売のA社さんにお使いいただいています。A社さんみたいに探したい車種ごとにターゲティングしようと思いますと、広告出すキーワード数が約3000とか5000とかになるんです。そのキーワードに対して昔なら1枚1枚ランディングページを作らなきゃいけなかったんです。そうすると3000ページ作る必要がありました。

海野:そこで、ページは1枚で、商品写真と情報のみ差し替えてお使いいただこうと。そうすると管理コストも下がり、結果的にお客さんもダイレクトに情報にアクセスできますし、申し込み確率も2倍くらいになりました。

丹下:キーワードによって料金が増えていくという感じなのですか?

海野:配信総数ですね。反応させた数の合計数ですね。ですから例えばそのページに訪れてくれるPVが全体で100万PVだとしても、その中でセグメントされたものなので、ぐっと小さくなりまして、大体10万PVくらいのアクセスの中で、何かをやりましょうと。価格体系もそれに合わせて、いわゆるテーブル性を持たせています。一番下ですと4万円代からお使いいただいています。

丹下:月額ですか?

海野:そうですね。平均的に先ほどくらいの大きな会社さんですと、20万円とかそういう感じですね。

丹下:確かにSEOまでは一生懸命やりますけどね。

海野:集客っていうのは、皆さん意識していて、すごくコストかけてやってらっしゃる。ですがそこは正直言って高騰するだけなんです。リスティング広告なんて当然人気の高いキーワードはビッティング方式で高くなっていきますし、そうすると全体的に広告費は高くなっていきます。難しくなればなるほど高くなっていくという。

海野:そこまでして集めて来ているのに、アクセス後に手を抜いちゃうのはもったいないですよね。サイト外部のコストとサイト内部をかためるコストのバランスをとりましょうと言っています。アメリカは外部が80%内部が20%みたいな予算配分になってるんですが、日本はまだそこまでいってないんです。多分へたしたら95対5、よくて90対10くらい。内部をもう少しあげていきましょう。最終的に外部コスト上げることで儲かっているのはグーグルだけで、そこじゃないとこで頑張りましょうという話をしています。

吉本興業でお笑い芸人を目指す、年収は数百円。

丹下:海野さんは幼少期どんな少年だったんですか。

海野:変わってましてね。学生時代が長くてですね、大学7年くらい行ってるんですよ。7年くらいの中で、途中吉本興業で芸人やってたんですよ。

丹下:芸名あったんですか?

海野:ありましたよ。コリンチャンスっていうコンビ名です。東京NSCの一期生で同期品川庄司とかでした。今になって振り返ると、父親が事業をやっているのを幼少期から見ていて、尊敬の念と負けたくないという気持ちがあって、父親が来ない領域で戦おう、お笑いには来ないだろうと。単純な発想なんですけど、それが最初のモチベーションでした。




海野:それでNSCに入ったのはいいんですけど、品川君とか覚悟が違うわけですよ。私は大学行きながら、保険かけてるわけですよね。同期の中には中学出てすぐとか、何かを表現しているんですけど伝わろうが伝わらまいが関係ないみたいな、その強烈な個性の中で自分は勝てるんだろうかと思ったときに不安になったのと、当時は銀座7丁目劇場というところだったんですけど、ちょっと上にココリコさんとかロンブーさんがいました。一番上にはダウンタウンさんがいて、みんなダウンタウンさんに憧れて入ってくるんですけど、それがすごく遠く感じたんです。完全なヒエラルキーなんで、僕ら2年間やって収入数百円でしたからね。でも、そのときは頑張って上り詰めようとは思っていました。

丹下:2年で収入が数百円ですか?笑

海野:ほとんどノーギャラで、テレビも三回くらい出させていただいたんですけどノーギャラでした。

海野:最後にガキの使いのエキストラに出させていただいたんですが、100人くらいのその他大勢の中で、スペインの牛追い祭りってあるじゃないですか、あの牛がアントニオ猪木さんという設定でビンタされていくっていう企画で、ダチョウ倶楽部さんなんかとプールに落ちていったりして、そこで初めて頂いたギャラが数百円。ご丁寧に銀行振り込みで、確か源泉まで引かれてビックリした記憶があります。まあでも、10代の頃だったから、特に気にせず打ち込んでいましたけど。

丹下:転機はあったんですか?

海野:94年くらいのことでした。ふと横を見たときに、プレイステーションが出てきて、世界中の子供が遊んでますと、任天堂も色々出してて、ピカチュウなんて世界中の子供が知ってますと。日本の芸人を世界中の子供がどれだけ知ってるんだろうと思ったときに、おそらく知らないだろうと。自分が目指してるお笑いの世界でトップを取る、それはすごいことなんですけど、日本中に知られますし、でも、ビジネスの世界はもっと無限の可能性があるんじゃないかと思った時、ビジネスというものに興味を持ち始めたんですよ。


イトーヨーカ堂で、農家の野菜を売っていた

丹下:その後、ビジネスの世界に飛び込んだという事ですか?

海野:そうですね。私は起業前に2社を経験してるんですが、最初の会社がどベンチャーだったんです。そこで、私もちょうど2000年くらいに入ったんですけど、本業はコールセンターの会社だったんですね。

海野:猫も杓子もインターネットっていう時代で、その会社も新しい何かをやろうというときに、実はサービスの立ち上げ企画から全部一人でやらせていただきました。で、何をやろうっとなったときに、全国の農産品、特産品を集めてきてネットで売ろうと。とはいってもツテも何も無いんで、まずは農家を回りました。実は47都道府県回って、野菜売ってくださいと話をしたんですけど、売ってくれないんです。インターネットなんぞ知らんとか言ってなかなか心を開いてくれなくて、それこそ名刺とかスーツ着て持っていくと畑に投げられちゃったりして、だけどそれを何度か繰り返してやっていく内に、段々仲良くなってきて、農家の人に泊めてもらったりして、お酒とか飲んでるうちに本音を喋ってくれました。当時、今はだいぶ変わってきているんですけど、JAとか農協の支配下でやっていて、どんなに思いを込めていい土使って、農薬を使わずに物を作ったとしても、隣でもうバンバン農薬とか使って適当にやってる人と同じ値段で吸い上げられる。お店に並ぶときは横に置かれて同じように売られちゃう、だから自分はもう自己満足で作っておしまいなんだよって。でも、そこに対してなんか釈然としない思いがあると、でも自分で販路を拡大するわけにもいかないし、JAに逆らうと何されるか分からないみたいなこともあり、じゃあちょっと少しでも実際に売ってみましょうよと。でもネットはやだって言うんで、その時コールセンター業務のお客さんでイトーヨーカドーさんがいたんで、イトーヨーカドーさんの葛西店の売り場を一区画借りてエプロン着て、野菜を売ったんですよ。売り場づくりも野菜をただ並べるだけじゃなく、レコード屋さんのポップみたいなものを作って、この野菜は誰々さんがどういう思いで作ったんですよというのを書きました。そうすると、めちゃくちゃ売れるんですよ。お母さんが初日買ってくれて、次の日は子供連れて来てくれて、「この子も食べたよ。おいしかったよ」とか言ってくれるんです。

海野:嬉しくて、お客さんの声を全部農家に伝えました。そしたら、さらに改良を重ねるみたいな話になってものすごくいいスパイラルができたんです。それをやっぱり効率的にするにはインターネットだと思っていて、消費者もそういう情報を知りたくて、農家もどういう風に作っているのか知らせたいんじゃないかと思ってですね。それを結び付けたいなというのがありました。ですがその後、不況に入りまして、本業に特化するという方向になって、それならということで私は抜けさせていただいたんです。

丹下:リアルに売られてたんですね。

海野:面白かったですよ。

丹下:主婦の方が気に入るとどんどんクチコミで流行ったんじゃないですか?

海野:そうなんですよ。奥さん達の間ではやはりコミュニティがあって、特に大型店だと、お母さんがお母さんを連れてですとかね。

丹下:インターネットもずっとやられてて、知りたい知らせたいのマッチングをもっとできないかなとずっと考えられてたんですね。

海野:そうですね。特に農家なんてホームページなかなか作れないですし、じゃあもっと簡単に更新できないかなとか、そんなところからの発想ですね。

父の会社から分社、100社と取引

丹下:3年かけて2004年に特許を取られて、サービス開始は2006年だと。その2年間は持ち出しですか?

海野:そうですね。

丹下:その費用ってどうされたんですか?

海野:実はですね、私の父親も事業をやっていて、最初は父親の会社に参加していたんですよ。

丹下:お父様もインターネット業をされているんですか?

海野:いいえ。最初はインターネットとは関係ないことやってたんですけど、特許出願を機に面白そうだということで。そこで一事業として立ち上げようと。その後、代表もわたしに代わって、銀行から資金調達をして、それもゼロからの起業だと集められないんですけど、十何年とやってる企業だったので、新しく事業を始めますと言うと資金も調達できました。

丹下:それで部署として分かれて今のアクシイズさんになったわけですね?

海野:そうです。父親のやっていた事業は、不動産の管理とか全く関係なかったので、一緒にやりながら成長していくのはちょっと難しいだろうと思って、分社しました。それからドライブかけるために、新たにVCから資金調達してっていうのが今のところですね。



丹下:今何社くらいとお付き合いされているんですか?

海野:今で100社くらいですかね。

丹下:一か月の伸びはどのくらいですか?

海野:月平均で7社から10社くらいですね。

丹下:今ですと、営業しなくてもホームページからきたりとかあるんですか?

海野:たまにありますね。ちょっとずつ認知が増えてってこともあるんですけど、でもほとんどは自分たちで営業してます。あとは、代理店の方のご協力をいただいて。

丹下:代理店の方にはランニングフィーも入ってくるんですか?

海野:そうですね。その代わりに設定のサポートとかで窓口になっていただいています。

丹下:代理店手数料もけっこう大きいんですか?

海野:最初は15%で、数売っていただけると30%とか。お名前とかあまり言えないんですけど、かなり大手の企業さんがちょっとずつですが増えつつあります。ただまだ、新しい産業と新しいサービスなので、さっきも言いましたがこれはASP全体の課題だと思うんですが、単価がやっぱりそんなに高くないので、いかにその価値を上げていくかっていうのがこれからの課題ですね。あとは数をどれだけ増やすかっていうのもありますね。数を上げるか、単価をあげるかっていうのも戦略としてやっていかなければならないです。

丹下:会社としての夢はやっぱり普及していくということですか?

海野:そうですね。もっと楽しく面白くできるんじゃないかと思っています。営業の方が、面白くマーケティング活動できるような仕組みを作っていけたらと、その結果としてユーザーも知りたい情報にアクセスできるようになるだろうと。

地方をインターネットの力で強くする

丹下:なるほど、個人としての夢というのは何ですか?

海野:むかし地方を回っていて思ったのが、農家の方とか地域産業が疲弊してるんですね。今はさらにだと思うんです。そこをですね、我々もようやくこういう仕組みを作って、核ができ始めてるので、何か地方に絡められるようなことができたらいいなと。地方の方と直接触れ合った中で感じたことですが、皆さん思い入れがすごいんですよね。

丹下:知りたい人と知らせたい人をさらにマッチングさせていこうと。

海野:そうですね。なおかつそれが地方にちゃんとお金が落ちる仕組みにしていきたいですね。インターネット産業の悪いところなんですけど、日本のIT企業は国内需要かつ東京の大手企業ばかりを狙っているという状況です。ベンチャー企業という以上、外貨を稼いでなんぼだと思うんで、そこにはチャレンジをしたいなと思っています。

丹下:輸出ビジネスということですか?

海野:過去の日本の製造業を見ていると、同じものを作っても質が良ければ世界で通用するというのが仮説として一つあります。うちの会社も外国のものに比べて緻密なものを作っているので、その点では自信があります。ただ、なかなか海外に拠点を持つって言うのも、正直難しいかなと思っています。だったら、日本に来てもらった人のお金を落とさせるためにインターネットをどう使えるかというのもチャレンジしたいんですよね。

海野:彼らも、我々も外国に行ったときに情報がないので、それをうまく知らせてあげられるようなサービスを今のサービスの延長線上で作っていきたいですね。今のところ顕在化したものに対してだけなんですが、もっと潜在的なニーズに対して情報を提供できるようにしたいです。

丹下:海外から来た人って、観光名所見るだけですからね。

海野:特に今、中国の人たちって所得が上がってきていても、日本に来て買物してるだけじゃないですか。もちろん買い物もいいんですけど、そこに何か付加価値をつけてあげたいですね。そのときに観光で地方に来てもらえば、地方にお金が落ちるようになります。例えば、野菜なんかも、海外にとってみるとやっぱりメイド・イン・ジャパンの野菜は価値が高いので、そこをうまくマッチングしてあげて、いずれはお取り寄せとかできるようにしていきたいです。そういう架け橋してみたいなというのはあります。まだまだ、事業としては成立できていないんで、私個人として思ってる部分ですが。

丹下:いつも訪問して思うのは、皆さん、日本の物を海外で使ってもらうとかいう想いは強いですね。

海野:このままだとどう考えても先細っちゃうと思うんですよ。特にネット系の商売を見ると、小さなところで小さなビジネスを皆一生懸命やっていて、もちろん悪いことじゃないんですけど、我々も同じですし。このままトレンド追いかけてってなると、それが通用しなくなったときにどうなるんだろうという疑問がでてくるので、もっと上流に乗りたいなというのはありますね。

丹下:わかりました。本日はありがとうございました。

海野:こちらこそありがとうございました。  


お笑い芸人からビジネスの世界へ転身。元お笑い芸人とは、第一印象からは想像がつかないほど、しっかりとした社長様です。3年ほど企画を温めて、万を持して起業された所に、とても強い信念をお持ちなんだと感じながら取材させて頂きました。以前は47都道府県の農家を回り、野菜を仕入れ売っていたという経歴も非常にユニークです。インターネットの世界は、参入障壁も低く多くの会社がある中で、一般大衆や農家の方々の心を掴む術を培われた海野社長だからこそ、ネットの先にある購買心理を読む一手を打つことが出来るんだと感じました。ネットだけでは生き残れない。リアルなシズル感を併せ持つハイブリッド経営が時代を創るのでしょう。