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起業家の熱い夢を応援するウェブマガジン「ドリマガ」
株式会社モバイルファクトリー
1000万人に喜んでもらえるサービスを創る |
会社エントランスに、社員の写真を一杯貼ってあるコルクボードが飾ってあった。皆さん若くて、満面の笑顔だった。凄くアットホームな会社なんだぁ。早速、取材する会議室に、元気な声で宮嶌社長が入ってきた。凄い元気の良い社長さんだ!取材がとても楽しみになってきた。 |
丹下:初めまして、早速ですが、会社としての夢からお聞かせ願えますでしょうか?
宮嶌:会社の夢は、我々は経営理念というものを決めています。我々が生み出すものはサービスに限っていません。なぜなら、それはメーカーをやるかもしれないからです。我々が生み出すもので、世界中の人々に喜んでもらおうというのがまず基本理念としてあります。具体的なビジョンとしては、2011年に1000万人に使ってもらえるようなサービスを我々の手で生み出していこうと考えています。
丹下:すごいですね。
宮嶌:1000万人はかなりハードなチャレンジですけど。
丹下:モバゲーは行きましたね。
宮嶌:そうですね。mixiもいきましたね。日本国内だけみるとなかなか1000万に行っているサービスはないですね。だからこそ、我々は昨年の12月に英語版のミニブログのサービスをスタートさせました。
丹下:なるほど。
宮嶌:英語圏は5億人以上インターネットユーザーがいるんですね。日本だとYahooで8000万人くらいでしょう。やはり1000万人に使ってもらえるサービスって、なかなかハードルが高いんですね。いかに多くの人に喜ばれるサービスを僕たちの手で生み出せるかというのを考えています。まずそこがターゲットですね。
想いの源流、辛い時にメディアに助けられた
丹下:もともとの多くの人に楽しんでもらいたいという思いはどこから来ているんですか?
宮嶌:両親が美容院を5店舗経営していたのですが、事実上、経営者だった母親の死により、倒産してしまったんですね。
丹下:はい。
★ Dreamerのプロフィール
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1971年7月24日 |
学歴 | 中央大学法学部卒 |
略歴 | 大学卒業後、ソフトバンク株式会社に入社。 約5年間の勤務を経て、オプトインメール事業を実現するため、株式会社サイバーエージェントに転職。 2001年、オプトインメール事業の売却をきっかけに退職し、同年10月モバイルファクトリーを設立。 2003年、有限会社から株式会社に組織変更し、代表取締役就任。 現在はCGMメディア事業、モバイル事業、コンテンツ事業、ソリューション事業を展開。 |
趣味 | 読書・料理 |
その他 | サービス一覧 http://www.mobilefactory.jp/ service/ |
☆ 会社概要
企業理念 | わたしたちが創造するモノを通じて世界の人々をハッピーにすること。 それがモバイルファクトリーの存在意義である |
社名 | 株式会社モバイルファクトリー |
代表者 | 宮嶌裕二 |
設立 | 2001年10月1日 |
住所 | 〒141-0031 東京都品川区西五反田8-1-5 五反田光和ビル8階 |
TEL | 03-5740-6255 |
FAX | 03-5740-6156 |
URL | http://www.mobilefactory.jp/ |
宮嶌:あっという間に、従業員が離れ、店も倒産し、借金を抱えることになり、非常に貧乏な生活をしていた時代が、19歳から23歳までありました。
丹下:大学時代ですね。
宮嶌:浪人・大学時代です。その時、仕送りもなくて非常に苦しい生活をおくっていました。その時どうやって自分を奮い立たせていたかというと、凄く成功している人の伝記であったりとか、本であったりとかに記載されているメッセージだったんです。
丹下:まさに、このドリマガですね!
宮嶌:そうですね!その中の一つに孫正義さんがいました。ちなみに私はソフトバンクに新卒で入りました。結局、自分を元気づけてくれたのはメッセージなんですが、それを伝えてくれたのはメディアなんですね。私自身、自分の夢を、はっきり決めています。
自分の生き様、そして自分が手がける作品と言いますか、自分の会社が生み出す作品によって、元気のない人に勇気と生きる元気を与えようと。それが自分のミッションだということをはっきり持っています。イメージとしては、サービスという大きなくくりですが、基本はメディア系のサービスです。
丹下:いいですね!これを見て多くの人が元気づけられると良いですね。
宮嶌:そうですね。それが自分のミッションでもあるので。
丹下:そういう確固たる夢がおありで、たまたま手段がモバイルだったということでしょうか。
宮嶌:そうですね。だからインターネットとかセカンドライフもやっているといった形ですね。
丹下:そうでしたか。セカンドライフの支援もやられているんですね。
宮嶌:ただ、社名からするとミスマッチですね。売上の7割くらいはモバイルなんですけど、最近ブログの広告メディアもやっています。セカンドライフも基本は、参入支援なんですけど、我々は初心者島というのを持っていて、そこをメディアにするという感じですね。要はポータルサイトです。だから志向はメディアなんです。
丹下:もしかして、社名とか変わったりするんですか(笑)?
宮嶌:まぁでもやっぱりモバイルにこだわるのがうちの強みだろうなぁというのは非常に感じています。
丹下:いいですね!これを見て多くの人が元気づけられると良いですね。
宮嶌:そうですね。それが自分のミッションでもあるので。
丹下:そういう確固たる夢がおありで、たまたま手段がモバイルだったということでしょうか。
宮嶌:そうですね。だからインターネットとかセカンドライフもやっているといった形ですね。
丹下:そうでしたか。セカンドライフの支援もやられているんですね。
宮嶌:ただ、社名からするとミスマッチですね。売上の7割くらいはモバイルなんですけど、最近ブログの広告メディアもやっています。セカンドライフも基本は、参入支援なんですけど、我々は初心者島というのを持っていて、そこをメディアにするという感じですね。要はポータルサイトです。だから志向はメディアなんです。
丹下:もしかして、社名とか変わったりするんですか(笑)?
宮嶌:まぁでもやっぱりモバイルにこだわるのがうちの強みだろうなぁというのは非常に感じています。
自ら考えたビジネスが数億円の事業に
丹下:設立までの経緯を詳しく教えて頂けますか?最初は、新卒でソフトバンクに入られて、それからサイバーエージェントにいかれたんですよね。
宮嶌:そうです。サイバーエージェントは12番目の社員でした。まだサイバーエージェントが上場する前でした。
丹下:どこで、ご存知になったんですか?
宮嶌:前職のソフトバンクを辞めようと思ったわけではなくて、独立をしようと思っていたんですね。オプトインメールというビジネスで。ソフトバンクの時の同期3人で独立しようと計画をしていました。でも、いざとなったら残り2人がソフトバンクを辞めなくて、私1人になってしまいました。それで、色々な人に相談していました。
丹下:なるほど、創業期に良くある話ですね。私もそうでした。
宮嶌:たまたま、友達の1人に、サイバーエージェントに転職した人がいました。彼に相談したんです。そしたら、そのサービスをうちでやれば?って言われまして、藤田さんに会ったら、是非うちでやって欲しいといわれました。冷静に考えて、自分は確かにシステムのディレクションはできる。営業もできる。ただ、業界も知らなかったですし、このサービスをやることによって僕が得たいものは何なのか?ということをよく考えた時に、このサービスを成功させることだと思ったんです。サイバーエージェント自体も非常に面白いところだと思っていました。当時から藤田社長はブログを書いていて、想いが書かれていました。インターネットの革命を起こすと、この業界を自分達が作っていくサービスで変えていくと。凄い感化されまして、じゃあ、その一員になってやろうと思って入りました。
丹下:設立までの経緯を詳しく教えて頂けますか?最初は、新卒でソフトバンクに入られて、それからサイバーエージェントにいかれたんですよね。
宮嶌:そうです。サイバーエージェントは12番目の社員でした。まだサイバーエージェントが上場する前でした。
丹下:どこで、ご存知になったんですか?
宮嶌:前職のソフトバンクを辞めようと思ったわけではなくて、独立をしようと思っていたんですね。オプトインメールというビジネスで。ソフトバンクの時の同期3人で独立しようと計画をしていました。でも、いざとなったら残り2人がソフトバンクを辞めなくて、私1人になってしまいました。それで、色々な人に相談していました。
丹下:なるほど、創業期に良くある話ですね。私もそうでした。
宮嶌:たまたま、友達の1人に、サイバーエージェントに転職した人がいました。彼に相談したんです。そしたら、そのサービスをうちでやれば?って言われまして、藤田さんに会ったら、是非うちでやって欲しいといわれました。冷静に考えて、自分は確かにシステムのディレクションはできる。営業もできる。ただ、業界も知らなかったですし、このサービスをやることによって僕が得たいものは何なのか?ということをよく考えた時に、このサービスを成功させることだと思ったんです。サイバーエージェント自体も非常に面白いところだと思っていました。当時から藤田社長はブログを書いていて、想いが書かれていました。インターネットの革命を起こすと、この業界を自分達が作っていくサービスで変えていくと。凄い感化されまして、じゃあ、その一員になってやろうと思って入りました。
丹下:出会いですね!
宮嶌:それから、オプトインメールの事業を軌道に乗せました。それから、2年が経ち、ビジネスとしては成功したんですが、サイバーエージェントの方針で、そのオプトインメールのビジネスをGMOに売却する事になったんです。結局自分がゼロから考えたビジネスが数億で売却されたんですね。
丹下:凄い高い金額で、売却できたんですね。
30歳で起業、2年目に大きな躍進のチャンスが
宮嶌:それで、サイバーエージェントに残るか、GMOに行くかという選択に迫られました。ただ、30歳であったという事もあり、区切りだなぁと。営業には自信がありましたし、システムも設計できましたので、起業を決意しました。
丹下:それで、モバイルファクトリーを作られたわけですね。1人で作られたんですか?
宮嶌:そうです。
丹下:すごいですね。
宮嶌:お金がなかったですからね。
丹下:最初に手掛けられたビジネスは全然違うビジネスだったんですか?
宮嶌:いえ。今もやっています。着メロのASPサービスです。前職のサイバーエージェントの時に、サイバーエージェントでやろうと思っていたビジネスなんです。
宮嶌:それから、オプトインメールの事業を軌道に乗せました。それから、2年が経ち、ビジネスとしては成功したんですが、サイバーエージェントの方針で、そのオプトインメールのビジネスをGMOに売却する事になったんです。結局自分がゼロから考えたビジネスが数億で売却されたんですね。
丹下:凄い高い金額で、売却できたんですね。
30歳で起業、2年目に大きな躍進のチャンスが
宮嶌:それで、サイバーエージェントに残るか、GMOに行くかという選択に迫られました。ただ、30歳であったという事もあり、区切りだなぁと。営業には自信がありましたし、システムも設計できましたので、起業を決意しました。
丹下:それで、モバイルファクトリーを作られたわけですね。1人で作られたんですか?
宮嶌:そうです。
丹下:すごいですね。
宮嶌:お金がなかったですからね。
丹下:最初に手掛けられたビジネスは全然違うビジネスだったんですか?
宮嶌:いえ。今もやっています。着メロのASPサービスです。前職のサイバーエージェントの時に、サイバーエージェントでやろうと思っていたビジネスなんです。
ちょうど着メロASPサービスというのがニーズがあって、サプライヤーがいなかったんです。前職と競合しないので、彼らを顧客にできますしね。
丹下:そこからは着実に伸びてきたんですか?
宮嶌:1年目は、全く売れなくて潰れそうになりましたね、笑。
丹下:なるほど。その後伸びてきたのは転機があったんですか?
宮嶌:着メロのASPというのが、ノベルティ仕様なんですね。例えば、ポケットティッシュのように、着メロが貰えるカードをdocomoショップとかで配ることができるんです。何がきっかけになったかというと、ノベルティショーがあったんですね。486社のノベルティ会社が展示会を開いていました。そこで準大賞になったんです。準大賞になったら、docomoさんが採用してくれたんです。それからは、日本中でdocomoさんが販促品として採用してくれました。それで、2年目は、物凄く売れました。
丹下:準大賞になったというのは何か要因があるんですか?
宮嶌:安くて効果が高いからですかね。当時かなり携帯が売れていた時代です。着メロというものが、公式サイトとして、ユーザーが物凄い伸びていた時期なんですよ。3和音から4和音とかになった時期です。それをノベルティとして配るというのが、docomoさんには、はまったんでしょうね。docomoさんは、ノベルティとして弊社から1枚30円で購入しても、彼らはパケット代でそれ以上、儲かってたんですね。それでユーザーも喜ぶ。
丹下:All-winですね!
丹下:そこからは着実に伸びてきたんですか?
宮嶌:1年目は、全く売れなくて潰れそうになりましたね、笑。
丹下:なるほど。その後伸びてきたのは転機があったんですか?
宮嶌:着メロのASPというのが、ノベルティ仕様なんですね。例えば、ポケットティッシュのように、着メロが貰えるカードをdocomoショップとかで配ることができるんです。何がきっかけになったかというと、ノベルティショーがあったんですね。486社のノベルティ会社が展示会を開いていました。そこで準大賞になったんです。準大賞になったら、docomoさんが採用してくれたんです。それからは、日本中でdocomoさんが販促品として採用してくれました。それで、2年目は、物凄く売れました。
丹下:準大賞になったというのは何か要因があるんですか?
宮嶌:安くて効果が高いからですかね。当時かなり携帯が売れていた時代です。着メロというものが、公式サイトとして、ユーザーが物凄い伸びていた時期なんですよ。3和音から4和音とかになった時期です。それをノベルティとして配るというのが、docomoさんには、はまったんでしょうね。docomoさんは、ノベルティとして弊社から1枚30円で購入しても、彼らはパケット代でそれ以上、儲かってたんですね。それでユーザーも喜ぶ。
丹下:All-winですね!
宮嶌:だからdocomoが全国中で買ってくれましたよ!
丹下:えー!すごい!
宮嶌:それを元手に、公式や非公式のサイトを作成しました。
どん底の人生から、多くの教訓を
丹下:なるほど。それで御社の媒体を使って元気になってもらいたいということであれば、何をしていくことが元気になっていく手助けになるんですかね。つまり、今の宮嶌さんって成功されているとおもうんですよね。宮嶌さんと同じ場所に行くために何をしていけばいいっていうものありますか?
宮嶌:やはり、ワタミの渡邉社長がおっしゃっている通り「夢に日付けを入れる」ということが大事だと思います。
丹下:宮嶌さんも入れられたんですか?
宮嶌:自分は19歳の時に実家が事業をやっていて倒産したんですね。凄く悲しかったです。絶対にこんなに悲しい思いはしないぞと、心に誓いました。その為に、自分は力を持とうと。その時に自分の人生の生き方を決めました。
丹下:なるほど。
宮嶌:強い思いだけでは、具体的にアクションに移せないので、自分がどうなりたいのか、それに日付をいれました。1年後までにこうなっていたいなら、この1か月、何をしなければならないか。ということを決めることが一番だと思います。アクションに変えていかないと。「行動からしか何も生み出されない」ですからね。
丹下:なるほど。名言ですね。でも、夢を目指している時でも挫けるときってあるじゃないですか。この夢って本当に叶うのかなとか。結構一般の人たちって、結構考えると思うんですよ。
宮嶌:私は、比較的モチベーションが落ちないタイプではあります。なぜかというと、19歳のころの経験があまりにもひどすぎたんです。当時、家が破産して、更に母親も死んで、網膜はく離になってしまったんですよ。で、いつも辛いことがあるときに思うことが、あの時よりはマシだよねってことなんです。
丹下:なるほど。
宮嶌:その当時は、俺の人生は今がどん底だ。だからもう上がるしかないと思い込むようにしましたね。いま思っても確かにあそこがどん底だと思いましたね。いろいろ辛いことがありましたが、あの時以上に辛いことはないですね。
丹下:なかなか一般の人は経験しないですね。
宮嶌:そうですよね。
元気のない人に勇気と元気を
丹下:個人の夢としては、如何ですか?
宮嶌:はっきりしたものはないのですが、会社の夢と同じです。自分のミッションとして、自分の生き様を、そして自分の手がけるサービスによって、いま元気のない人に勇気と元気を与えるようなことをしていく。ということですね。
丹下:理念に基づいて、それに背かない生き方をする。ということですね。
宮嶌:そうです。そういうのを確固として持っています。
丹下:メディアを通さなくても、社内にいる人たちが元気になっていそうですね(笑)
宮嶌:社員には幸せになってもらいたいって思いますよ。
丹下:それは僕も凄く思います。わかりました。本日はありがとうございました。
宮嶌:こちらこそ、ありがとうございました。
宮嶌:その当時は、俺の人生は今がどん底だ。だからもう上がるしかないと思い込むようにしましたね。いま思っても確かにあそこがどん底だと思いましたね。いろいろ辛いことがありましたが、あの時以上に辛いことはないですね。
丹下:なかなか一般の人は経験しないですね。
宮嶌:そうですよね。
元気のない人に勇気と元気を
丹下:個人の夢としては、如何ですか?
宮嶌:はっきりしたものはないのですが、会社の夢と同じです。自分のミッションとして、自分の生き様を、そして自分の手がけるサービスによって、いま元気のない人に勇気と元気を与えるようなことをしていく。ということですね。
丹下:理念に基づいて、それに背かない生き方をする。ということですね。
宮嶌:そうです。そういうのを確固として持っています。
丹下:メディアを通さなくても、社内にいる人たちが元気になっていそうですね(笑)
宮嶌:社員には幸せになってもらいたいって思いますよ。
丹下:それは僕も凄く思います。わかりました。本日はありがとうございました。
宮嶌:こちらこそ、ありがとうございました。
初めてお会いした会社なのに、何か親近感がわく。広報担当の下村さんにも、シフトさんは、同じ理念を持たれた会社なんですね!凄く親近感が湧きますと言われました。とても光栄ですし、何よりも、そう言って下さった下村さんが、輝いていた。人生のどん底を知った宮嶌社長だからこそ、本当の愛情が生まれるんだなと思った一日でした。これほどまでに社員に愛される社長も少ないなと。その後も、昼食をご一緒させて頂いたが、業界談義で、非常に盛り上がると共に、気遣いの素晴らしい人格者なのだと感じました。 |
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